Production Note
今回こういった場をレーベルの方から提供して頂いたのでアルバムについて記してみたいと思います。
読み進めるにあたり懐疑的な箇所もあるやもしれませんが、あくまでも私的観点で綴ったものである上に
文章にも疎いので、textの技術如何についてはある程度御容赦いただければと思います。
About Freeform Breaks
まず今回のアルバムの製作をするにあたり、私自身の今までの思考そのものを3つの主題に統合し
できうる限りそれに基づいた表現である事を前提に楽曲をつめていきました。
では早速ですがおおまかに3つの主題について1つずつ紐解いていきたいと思います
主題1 : 60年代のフリージャズ開拓期へのオマージュ
まずこのテーマをとりあげた経緯は数冊の本でした。
一時期、私はとある古書店の店主から60年代〜70年頃のジャズに関する本を譲り受け暇を見つけるとその本に没頭しました。
いくつか挙げてみますと
由井正一著 「HISTORY OF JAZZ」
ヨアヒム・E・ベーレント著 「JAZZ」
バリーマクレー著 相倉久人訳 「現代ジャズの奔流」
植草甚一・鍵谷幸信編 「コルトレーンの世界」
相倉久人著 「’’ジャズは死んだか?’’」
平岡正明著 「ジャズ宣言」 等々です
私は楽器の演奏が出来ないミュージシャンなので、演奏技術に関する理解力についてはほぼ皆無だといっていいのですが、こうした本にはそういった解説と共にアーティストのスタイルの変遷や精神論にも触れていたりします。
例えば
マイルス:モード奏法
トレーン:シーツオブサウンドの衰退
コールマン:ハーモニーの自由化
なんて難解な言葉が現れてまずそれぞれに到る変遷の経緯をオリジナリティ溢れる言葉で筆者達が解説してゆくのですが、正直私の理解力ではその経緯にうまく触れられたか?というと微妙でした。
それでもどうにか読み進むうちにそういった解説の先々にはこれらの変遷が意図的であるのか偶発的であるのかの検証も含め、そういった流れの主流にいるミュージシャンの生活から精神論も内包すると結果として60年代のフリージャズとかフリーフォームといったスタイルの開拓につながっていると私は解釈するに到りました。
ではフリージャズとは何なのか?
例として上記のヨアヒム・E・ベーレント著’’JAZZ’’からフリージャズの項を掘り下げてみると、
この本には60年代のフリージャズの新しい点は次の5項目にまとめられる。とある
(1)無調遊離空間への突入。
(2)韻律、ビート、そして均斉の解消によるリズム・コンセプション。
(3)ジャズが「世界音楽」になったという事。
これは、文化音楽としてジャズが、インドからアフリカ、また日本からアラビアにまで世界を股にかけている事実。
(4)昔のジャズにみられなかった力強さの強調。
ジャズは西欧の他の音楽の形式にくらべて、今までも常に力強かった。だが、ジャズの歴史のなかで、フリー・ジャズほど忘我的、熱狂的ーあるミュージシャンの場合には宗教的ーな意味において、力強さに重点をおかれたことは、かつてなかった。ジャズメンは<力強さの祭典>をくりひろげているといってよい。
(5)音楽的サウンドを騒音の領域まで、ひろげたこと。
この項目以下フリージャズについて延々と語られているのですが、全てあげている訳にもいかないので
上記の5項目に限定して話を進めると理解の深度は別としても私は(2)(3)(4)の要素に惹かれた様に思う。中でもまず(2)は現在の自分の表現している枠に取り込み模倣できるのでは?
と考え、無謀ながら努力だけはしてみました。
私はクラブサウンドのトラックメーカーという立ち位置にいる以上、その製作にはどうしてもビートの既成概念がついて回ると常々思っていたのですがこれに(2)を通してみて色々と試行錯誤した結果
均斉からの解消=新しいbreakbeatsの構築
という考えを模倣としてみようという事になりました
それからというもの、私なりにビートの構築にはそういった模倣を意識して楽曲製作を進めていきます。
実はその一時期というのは結構以前の話なのですが、おおまかにこういった流れが現在まで練り上げられてフリージャズ開拓期へのオマージュが主題の一つとなりました。
ではこの辺で次のテーマに移りたいと思います。
主題2:トラックメイキングにおける根源の維持
このテーマについてはまずオーネット・コールマンという人物がいるのですが、この人物についてのとある一文がテーマの重要なファクターになりました。
このコールマンという人物についてはここでは詳しく書きませんが、フリージャズ開拓史においてかなり重要な人物であるとだけ書いておきます。興味のある方は各々でチェックしてみて下さい。
私の様に昔の文献からではなくとも資料は沢山あると思います。例えば私のような楽器演奏に無知なタイプには少々難解な部分もありますが、菊池成孔・大谷能生著「東京大学のアルバート・アイラー」などでは面白く紹介しており私も愛読しています。
では話を戻して、その一文をあげて説明していきましょう。上記にあげてある由井正一著''HISTORY OF JAZZ''という本の中で当時スイングジャーナルの編集長であった評論家の岩浪洋三さんが無署名で書いたコメントなのですが、
「外誌は彼の演奏をシュール・レアリスティックだともいっているが、オーネット・コールマンを語る場合、非常に大切なことは、彼の演奏がいかにシュール・レアリスティックで、アブストラクトなものを持っていようとも、その底にジャズの根源、あるいはニグロの根源に深く根ざしたルーツやソウルがあるということである」
と記されていて著者の油井正一氏もこれを最も的を射た意見と後押ししている。
この一文から私もそういったコールマン的要素を持ったスタンスで作品を製作したいと思う様になっていきました。私の作品にも根源というべきスタイルがあるとすると、やはりそれは90年代初頭のHIPHOPといえます。そこにはハード然り、ジャジー然り、アブストラクト然りであろうとも当時のサウンドはサンプリング主体であり、ループを基調とする事へのこだわりや意義が込められていると私は思っているので、あくまで私的感覚になるとはいえ出来うる限りそこを主軸にしてその維持に努める事もテーマの1つになりました。
それではこの辺で最後のテーマに移ります
主題3:宗教的告白『東方の神と関羽信仰』
まずこのテーマについては主題1で取り上げたフリージャズ5項目の(4)に注目していただきたい。注釈の部分にーあるミュージシャンの場合には宗教的ーな意味において...
とあります。ここはこの分野に詳しい方であらば大方ジョン・コルトレーンを思い描くと思います。
私にとってこのジョン・コルトレーン(以下コルトレーン)とはもはや熱中という領域を超え崇拝に近い感覚すら覚えるミュージシャンかもしれません。
とはいえ彼の音楽自体を探究するという事となるとほんの入り口程度の事しか知り得ないと感じるのですが、彼の辿った音楽の変遷の中には強く宗教的な告白を感じる作品がありそこに深い感銘を受けたというのも事実です。一部後述しますが、実際に上記の文献の中でもコルトレーンについての書籍では音楽同様にこの分野を大きくとりあげておりその人物像とともに深く解説しています。
ではこのコルトレーンの宗教的告白が私の作品にどういった関連を及ぼしたかといいますと、私にも信仰する神というべき存在があります。おおまかに書きますと一般には「道教」と呼ばれる宗教の神仙と呼ばれる神々の中に「關聖帝君」という神様がいるのですが、この神は三國志に登場する蜀漢の武将「関羽雲長」を神格化したものです。ここでは詳しく書きませんが私の部屋には正式な手続きを経て「關聖帝君」を祀る祭壇があるとだけいっておきましょう。
話をコルトレーンに戻します。
コルトレーンはその人生の後期にあたる時期が顕著だと思いますが、深く神を信仰していたといえます。
上記にあるヨアヒム・E・ベーレント著’’JAZZ’’や植草甚一・鍵谷幸信編’’コルトレーンの世界’’の中で
リロイ・ジョーンズという人が
「コルトレーンが神について語るとき、それは東方の神であると理解したまえ。おそらくアラーの神である...」
と言っていますが実際にその教義は明かされておりません。
しかし私はその教義如何というよりもその宗教に対するスタンス自体を音楽に関連づけて考えていこうと思うにあたって、指標とするのがコルトレーンだったのでそういう意味でテーマとして成立するのではと思いそれを現在まで練り上げていった結果テーマの1つとなりました。
以上が今回のアルバムの主題についてのおおまかな説明ですが、私自身このテーマを統合しそれに基づいた表現であるという意味では「FREEFORM BREAKS」というタイトル含め各楽曲に思考の砕片をちりばめているつもりです。
皆さんにとって作品自体が提供する時間に意義がある事をのぞんでいますが、ここを読んだ方はいままで記述した意図も感じてもらいながら作品に接していくとより時間に濃度を感じて頂けるのではと思っています。
SEIETSU
